“先日はデビュー作のセーラームーンでお世話になった白倉プロデューサーや 田崎監督にお会いし「あれから10年、早いですね」等とお話しました。 白倉さんは映画「Dear Friends」で東映大泉でお会いして以来、 田崎監督は昨年太秦東映で「みをつくし料理帖」を撮影していた時に 田崎組と撮影時期が重なりよくお会いしていて、その時以来でした。 どなたとお会いしても、いつも決まってセーラー時代の思い出話に花がさきます。 忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで 歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、 ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず オーディション前夜まで何を披露するか決められずにいました。 就寝前、私はとうとう思い詰め、サツマイモを半分に切ってラップで包み 彫刻刀と一緒に鞄の中に入れました。 そして当日のオーディション会場では容姿端麗で、 歌やダンスやバレエ、新体操など才能豊かな少女たちに紛れ もうどうにでもなれと惨めな気持ちで審査員の前で黙々と芋版を彫って合格しました… 田舎から芋を持って上京した17の私は現実に打ちのめされ 神戸までの帰りの新幹線では「落ちるなら芋で落ちた。」と何度も強く思いました。 今では、芋があったから今の自分がいる、と強く思っています。 芋版で合格にして下さったお心の広い白倉さん、田崎監督には今も頭があがりません。(笑) そんな思い出深いオーディションから、デビューさせていただき 1年と数か月を特撮に生きたので、東映は私にとってとても思い出深い場所です。 大泉学園の駅の周りも、スタジオも、すべてに思い出が詰まっていて 駅からスタジオまで15分、皆で話しながら歩いたなぁ、 ここの化粧前は沢井さんがよく使っていたなぁ、 この控室を昔は5人で使ってたなぁ、などと 自然と戦士4人の姿が浮かんできて、楽しかったな、と懐かしく思います。”
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DIARY | KEIKO KITAGAWA OFFICIAL WEBSITE
この「芋判で合格」がなかったら後の女優・北川景子がいない、と考えるとすごい話である。
(via ataru-mix)
